鎌倉は、源頼朝時代に政治軍事的消費都市として栄えた、実質的な日本の首都でした。南北朝〜室町時代には鎌倉公方が所在した関東の首府でもあります。そんな鎌倉ですが、由来を辿っていくと、様々な説があることがわかります。まずは鎌倉という地名が文献に出てくる歴史からみてみましょう。

鎌倉の初見

鎌倉の初見は、712年(和銅5年)に成立した『古事記』にみえる「鎌倉の(わけ(おやです。『古事記』の中の景行(けいこう天皇の(くだりで登場しています。ちなみに景行(けいこう天皇の時代は4世紀前半ごろと考えられています。

続いて、
733年(天平5年)5月の木簡には「鎌倉郡鎌倉里」と書かれています。
 ※綾瀬市宮久保遺跡から出土
733年(天平5年)7月の木簡には「733年7月14日に郷長丸子某がほしいい(=乾燥させた米)5斗を倉に納めた」と書かれています。
 ※現御成小学校の校庭から出土
735年(天平7年)11月の木簡には「相模国封戸租交易帳(ふこそこうえき「鎌倉郡鎌倉郷三十戸」と書かれています。
 ※交易帳=年貢の計算帳、当時の鎌倉郡内に三十戸(家)と、田一三五町一〇九歩の存在を伝えています

また、日本最古の歌集である『万葉集』に鎌倉を詠んだ歌が3つあり、可麻久良(かまくらと記されています。このことからも、奈良時代には“かまくら”という地名が使われていたことが分かります。

鎌倉の由来(地形的側面)

地形的側面の解釈は以下の3通りがあります。

【1】
鎌倉は地名・考古学的にいう「侵食地形・崩壊地形」を示す地形用語と解されます。
○カマ(鎌)=えぐったような崖地・崩壊的侵食谷
○クラ(倉)=谷を意味する古語
であると言われています。
それゆえ「市街は溺れ谷の埋積低地にのり、周辺に向かって〈やつ・谷〉とか〈やと・谷戸〉と呼ばれる多くの侵食谷の発達が特徴的」であることが鎌倉の由来になっているという説です。

【2】
鎌はもともと「かまど(竈)」のことを意味します。
○カマ(鎌)=かまど
○クラ(倉)=
鎌倉の地形は、東・西・北の三方が山で、南が海になっています。その形は上空から見ると「かまど」のようで、「倉」のように一方が開いているので、「鎌倉」となったという説です。

【3】
アイヌ語が語源となっているという解釈です。
○カマクラン=「山を越して行く」という意
○カーマ・クラ=「平板(へいばん)な石の山」という意

鎌倉の由来(伝説的側面)

伝説的側面の解釈は以下の2通りがあります。

【1】
日本初代の天皇である神武(じんむ天皇東夷(あずまえびすを征服しようと毒矢を放ちました。すると、その毒矢に当たって一万人以上もの人々が死に、その死体が山となって今の鎌倉の山ができたという説です。(かばね(死体)が(くらをつくったので、屍蔵(かばねくらとなり、それがなまって「かまくら」になったといわれています。

【2】
藤原鎌足(かまたり鹿島神宮へ参詣する途中、鎌倉(由井里(ゆいのさと/現在の由比ガ浜)に宿泊しました。その時、霊夢を見たので持っていた鎌(鎌槍(かまやり)を埋めたことが由来となる説です。
ちなみに鎌足が鎌を埋めたという「大蔵の松が岡」という場所は、
○鶴ヶ岡八幡宮境内にある丸山稲荷社
○現在の浄妙寺の鎮守、鎌足稲荷社
※東慶寺も「松ヶ岡」と呼ばれるが無関係

鎌倉の由来(その他)

【1】
昔、鎌倉の海岸近くには(あし(がまという植物ががたくさん生えていて、(がまが生えているところだから「かまくら」になったという説です。

【2】
比叡山にも鎌倉という地名があり、神倉(かみくらとか神庫(かみくらがなまったものと考えられている説です。ここ鎌倉にも神庫(かみくらがあったので、それがなまって「かまくら」になり、鎌倉の字をあてたのだといわれています。
※江戸時代末期の歴史家である黒川春村の『碩鼠漫筆(せきそまんぴつ』より

【3】
神奈川県の中央部に、高座郡(こうざぐんという地名があります。高座は、昔「たかくら」と読んでいたところから「高倉」「高麗」(こま)に通じ、高麗座(こまくら)「かまくら」になったと言われる説です。